ジジが喋らなくなったのは、キキが大人になったから
ラストシーンの黒猫は「ニャー」としか鳴きません。あの軽口の相棒は、どこへ行ってしまったのでしょうか。
噂の内容
13歳の魔女キキと、皮肉屋で心配性の黒猫ジジ。『魔女の宅急便』の魅力は、このふたりの掛け合いにあると言っても過言ではありません。見知らぬ街での不安も、失敗の悔しさも、ジジの一言があれば少し軽くなる。ところが物語の後半、観客は寂しい変化に気づきます。ジジの言葉が、キキに通じなくなっているのです。
スランプに陥ったキキは空を飛べなくなり、同時にジジの声も聞こえなくなります。やがてトンボを救うためにデッキブラシで飛び立ち、魔法の力は戻る。これで元通り、と思いきや。エンディングでキキに抱かれたジジは、ただ「ニャー」と鳴くだけでした。
ここから生まれたのが、ジジの声はもともとキキ自身の心の声だった、という説です。子どものキキは、自分の不安や本音をジジの口を借りて聞いていた。大人への一歩を踏み出した彼女には、もうその声は必要なくなった。だから二度と聞こえない——。
ジジが白猫のリリーと出会い、子猫が生まれるという展開も、この説を補強する材料として語られます。キキが自立していくように、ジジもまた自分の家族を持ち、キキの分身ではなくなった。子どもの頃には気づかなかった、ほろ苦い成長物語の読み解きです。あの「ニャー」は、別れの挨拶だったのかもしれません。
ささやかれる証拠
魔力と同時に声が消える
キキが飛べなくなるタイミングで、ジジとの会話もできなくなります。ふたつの出来事が同時に起きることから、ジジの声はキキの内面とつながっていると考えられました。
魔法が戻っても声は戻らない
キキが再び空を飛べるようになっても、ジジは言葉を取り戻しません。魔力の問題だけなら元に戻るはずだ、という点がこの説の核心です。
ジジの口調がキキそっくり
ジジの心配性で皮肉っぽい物言いは、キキが口に出せない本音を代弁しているようにも聞こえます。もうひとりのキキとして見ると、会話の意味が違って見えてきます。
表向きの説明
宮崎駿監督は、ジジはキキのもうひとりの自分のような存在であり、キキが成長したことで会話が必要なくなった、という趣旨の説明をしていたとされます。映画版の解釈としては、制作側の意図に近い読み方だと言えそうです。
一方、角野栄子さんによる原作小説では事情が異なり、ジジは最後までキキと話し続けます。映画はあくまで原作を大胆に脚色した一つの物語で、ジジの沈黙は映画独自の演出です。原作者の角野さんは、この改変を当初は戸惑いをもって受け止めたとも言われます。映画の余韻をどう受け取るかは、見る人それぞれに委ねられています。
ちなみに、タイトルにある「宅急便」はヤマト運輸の登録商標です。黒猫がシンボルの同社はこの映画のスポンサーを務めたことでも知られています。原作小説はシリーズとして長く書き継がれ、キキはのちに結婚して双子の母親になり、ジジにも家族ができるところまで描かれています。
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さて、あなたはどちらを信じますか。この噂、誰かに話したくなったら